ペレのサインなら書ける
先日、我が子らを連れ小学校の校庭へ遊びに行った時のこと。
我が子らが通う公立小学校は、
週末の土曜と日曜、少年団の野球やサッカーをやっていない時間帯に限り、
校庭を近所の子どもたちのために解放している。
かくれんぼや鬼ごっこで駆けずり回る子。
のぼり棒やうんていに興じる子。
バスケで盛り上がる子。
実に様々な子どもたちが遊んでいて、
普段1日の大半を1人事務所の中で過ごしている私にとっては
まるでユートピアにいるかのような賑わいだった。
そこには当然サッカーをしている子どもたちもいた。
我が子らはというと鉄棒でグルグルと回りまくって、ドヤ顔の応酬合戦をやっていた。
僕はというと、日頃の不摂生がたたり、体が重くなりすぎているせいもあり、
ニューシネマパラダイスのフィリップ・ノワレよろしく、傍で穏やかな笑顔を浮かべていた。
すると、ふいにコロコロと一つのサッカーボールがこちらに向かって転がってきた。
一直線に、寸分の狂いもなく、確実に、僕の足元へと向かってきている。
その時のことである。僕の思考は完全に、ある緊張感で支配された。
「コレ、うまく蹴り返せるのか?」
当然ウォーミングアップなどしていない。
フィリップよろしく自然な笑顔は準備万端だが、体は全然あたたまってなどいない。
サッカーも素人だし、むしろ運動なんて最近したかどうか記憶すらないくらい体を動かしてない。
蹴り返す相手(注:小学生の子どもです。)は、下手したら全員サッカー経験者だ。
きっと『少年団休みだけど、空いてるならみんなでサッカーやろうぜ』的なノリで
集まっているに違いない。(注:筆者の推測です。)
思い切り蹴り返して、ボールがあらぬ方向に行こうものなら
「アイツできないヤツだな。」と思われるに違いない。
かといって、空振りしたり、その拍子に尻餅をつこうものなら、もう目も当てられない。
それは我が子らの手前、父の威厳というものを維持するためにもどうしても避けなければならない。
あれこれ考えているうちにもボールはどんどん僕目掛けて転がってきている。
そう、こういう時はリラックスが大事だ。
硬くなった状態ではいいパフォーマンスはできやしない。
サッカー選手の動きを思い出してみろ、難しいことをいとも簡単そうに、
いい感じの脱力感を持ってやっているじゃないか。
ボールはもう蹴り返すのに絶好なミートポイントの位置まできている。
最終的に欲張りな僕は、
「ダイレクトで返して、ちょっとできる感じに見せたい。」
「だってペレのサインなら書けるし。」
というわけのわからない境地にまで達していた。
結果。
「ボンッ」とダイレクトで蹴り返したボールは、
取りにきた少年のやや左側へそれる形で返っていった。
『ありがとうございまーす!』
元気の良い返事とともに少年は何事もなかったように戻っていった。
「なんて良い子なんだ…」
再度フィリップよろしくな笑顔を浮かべながら、
内心は緊張から解放された安堵感から崩れ落ちそうだった。
これこそが、The【杞憂】。
…今日、株でもはじめてみようかな。
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