出来杉くんが主人公ではつまらない

AIの技術は、目覚ましい進化を遂げている。
特に『生成AI』という技術は、我々の業界にも企画、撮影、編集の各分野に徐々に入ってきている。
今はまだ「すげえ」で済んでいる部分もあるが、これが徐々に「やべえ」に変わらないことを祈っている。

一部の有識者の方々の中には、生成AIへの警笛を鳴らしている人もいる。
そういう記事とかお話を見たり聞いたるする度に、確かにそうかもとは思う。
今後さらにAIが進化して完璧で火の打ちどころのないものを作るようになったとする。
でも、そもそも全てをAIで作ったものに、手放しで全BETできる人って現れるんだろうか。

朝起きて美味しい朝食を食べ、汗を流して働き、その汗を家に帰って綺麗に洗い流し、落ち着いた寝床でぐっすり眠る。
完璧な日常だ。
しかし人は、それだけでは物足りなくなるから、見たことにないものを見たいと思ったり、
行ったことがない所に行きたいと思ったり、持っていないものを持ちたいと思う。
完璧な日常を崩して、そうしたいと思う。

人は、無意識のうちに完璧というものへの畏怖があるのかもしれないが、
ともすれば「崩す」という要素を愛しているんじゃないかと思う。

AIが作り上げる世界は完璧で理想的なものなのかもしれない。
だけどその世界は、完璧であるがゆえに、人にとっては受け入れ難い。
仮にもしAIが、「崩す」という完璧とは逆方向の非効率な行動を覚えたその時、
人間は必要なくなるのかもしれない。

のび太が居なければドラえもんは来なかった。
だからどんなに出来が良くても出来杉くんは主人公にはなれなかった。
仮に出来杉くんが主人公だったとしても、その物語は格段につまらなかったと思う。

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