家が工事現場

今僕の住んでいるマンションでは、大規模修繕工事を行っている。
建物の周囲を足場と紗幕で囲い、壁・床・天井等の補修や改修などを行うあれだ。
当然我が家も例外なく紗幕が張られているわけだが、
幼少期から田舎の一軒家に住んでいた僕にとっては初めての経験だった。
日常のなんとなくマンネリした空気を解消してくれるような気もして、少しワクワクすらしていた。
だけど、いざ足場が組まれていくのを目の当たりにすると
撮影現場でイントレとかを見慣れているのもあって、
「まぁこんなもんだよな。」的な感覚になってしまって新鮮味など微塵も感じられなかった。
あったとすれば、思いきって断捨離できたかなーくらいの感じで、
あとはそこそこ音や匂いもするから、ストレスが全くないと言ったら嘘になるだろう。

そんなある日、妻と一緒に買い物に出かけた。
帰り際に妻がふいにこうつぶやいた。

「工事現場の家に帰るみたい」

なるほど。
僕は神の啓示を聞いたかのような衝撃を覚えた。

「工事中の家」ではなく「工事現場の家」。

僕は今の気持ちを一番言い得ているのはこれだと思った。
言ってることは同じでも、捉え方が全然違う。

「工事中の家」は、事実を端的に言っているし、
人に「今家が工事中なんですよねー」と言えば90%以上の人には伝わるだろう。
ただここには、住んでいる人の感情というものが全く伴っていないのである。
「工事中の家に帰る」ということは「工事中の家に住んでいる」ことであって
むしろ、「まぁこんなもんですよね」的な感じで工事を受け入れている大人な雰囲気すら漂う。

反対に「工事現場の家」はどうだろう。
「家が工事現場なんですよねー」と言うと
初めて聞いた人は「え?」ってなるかもしれない。
しかし、ここには確実に我々住人のソウルが宿っている感じがしたのだ。
「工事現場の家に帰る」ということは「工事現場の家に住んでいる」ことであって
なんかすごい不本意なんですけど、現場に住んでますっていう感じが伝わってくる気がする。

先にも述べたように我々住人は少なからずストレスを感じている。
その感情まで言い得ている言葉が「工事現場の家」だと思った。

そう言えば昔、息子がまだ小さい頃に
初めて見る海を前に「大きいプール!」と言ったことを思い出した。
それは「日本語の妙」でも「幼いが故の表現」だからでもなく、
きっと埼玉県人のサガなんだと思う。

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