スプーンで掬えない量のスープについて

世の中には不条理なことがたくさんある。

ケーキの周りについている透明フィルムの存在もその一つだと思う。
子どもの時、何の躊躇いもなく舐めていたのに、いつからか舐めることを辞めてしまった。
それは、単純に「恥ずかしい」「みっともない」「下品」だからということを
成長と共に理解したからであり、ある意味社会に適合しようとした結果によるものなんだと思う。

ただ、ちょっと待てよと。
このケーキの周りのやつって何のためにあるのかと。
アニメ「クレヨンしんちゃん」の中でもネネちゃんがケーキを食べる件で、
フィルムを舐めて「これがおいしいのよ。」と言っていた。
すごくわかる。
未だにフィルムを外して折り畳む度に、0.5秒くらいの躊躇いが生まれる。
「あ、生クリームと一緒にラズベリーソースがついてる、、(舐めたいなぁ)」みたいな思考が働いてしまう。
こんなにも欲望を掻き立てるものなのに、何故そのまま捨てないといけないのか。
ちょっと調べてみたところ、どうやら乾燥防止のためについているそうだが、
それにしても、ちょっと待てよと。
技術革新が進む昨今、こんなにも人の心を揺さぶる使い捨てを許して良いのかと。
技術革新が許したとしても「SDGs」が黙っていないのではないかと。
中に入れておくだけで乾燥が防げるショーケースとか箱ができたらこんなことにならないのではないか。
それが発明されないのは、発案した人が
「あ、あの人きっとフィルムを舐めたいと思ってたから、こんなこと思いついたんだ」的なことを
思われたくないから、発案すらしづらいのかもしれない。
先に述べたネネちゃんの話もあったように、結構な確率でケーキの周りの透明フィルムを舐めたい人はたくさんいると思う。
もし仮にこの世の中が、地位も名誉も恥も外聞もない世界であったら、全人類が舐めたいというものなのかもしれない。
ケーキの周りの透明フィルム協会の方がいたら、言いたい。
「それを発案したら決して恥なんかではありません。人類における輝かしい栄光です。」と。

そんなくだらないことを考えながら、昨日事務所近くのラーメン店に行った。
そのラーメン店は、「家系」とか「こってり味噌」とか「昔ながらの醤油」でもない、
独特の煮干し風味を売りにしている大変おいしいお店なのだが、無添加の素材のみを使用しているのもあって割と女性客も多い。
ひとしきり麺をすすり終え、残ったスープを堪能していた時、それは起こった。

「飲みたい。」

ひと掬いにも満たないスープがどんぶりの底で揺れ動いている。

「けど掬えない…。」

どんぶりの角度を変え、レンゲで掬おうにも掬えない。
やられた!と思った。
見回すと周囲は女性客にがっちり固められていた。
どんぶりも持ち上げてすすろうにも、大人、いや品のいい中年男性としての見え方が気になってしょうがない。
ひと掬いにも満たないスープがここまで一人の大人の心を揺さぶるのか。
僕は後ろ髪を引かれる思いで、(ラーメンはしっかり食べてるけど)スープをそのまま残し店を後にした。

人間の欲は根源的なものであり、際限がないのだ。

もし、全人類がケーキのフィルムとひと救いに満たないスープに
もっと寛容になれるのなら、世界は今より少し平和になるのかもしれない。

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