無駄はないを正当化しすぎて後悔する
「こうすると、こうなる。」と頭ではわかっていても、やらない。
人間のサガとでも言おうか、そういう悲しい現実で世界は成り立っているんじゃないかなと思うことがある。
食べると太る、けど食べたいから食べちゃう。
早寝早起きして健康的な生活をしたい、けど夜ふかしして映画のサブスクを見ちゃう。
勉強すれば成績は良くなる、けどやらない。
たくさん働けばお金が稼げる、けど休む。
働きすぎると精神的に参ってしまう、けど休まない。
環境汚染すると地球が危ない、けどまだ足並みは揃わない。
全ての人間が、「こうした方が良いこと」を完全にやってのけていたら
きっと今よりも豊かで健康的で文化的な素晴らしい世界が広がっているのかもしれない。
もちろんそれらをやっている人もたくさんいる。
だから「こうした方が良いこと」をどれだけやったか、その差みたいなものが、
いろんなものの格差というものを作っているんじゃないかなと思う。
ってこと思いながらも、僕もやらない、というかできないことが本当にたくさんある。
そもそも人間は、脳味噌の仕組み的にやらないといけないことを先延ばしにする生き物らしい。
ってネット広告でたまたま見た情報なんですけど、そういう文言を拾って自分を慰めていたりもする。
それどころか、『人生に無駄なことはない』という誰かが言った言葉を都合よく信じて、
「意外とこの無駄が後々生きるのではないかしら」
などと正当化してしまいすらする。
もちろんこの場合の『無駄』とは『努力的な行為を要した無駄』のことだ。
ただやらないといけないことを先送りして、食って、寝て、遊んでいるだけでは意味がない。
確定申告の時期が近づいてきている。
僕は今、申告書類を準備する前に、このくだらないブログを書いている。
2024-01-12 by
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