
僕が育った田舎は、見事と言っていいほどの田園地帯だった。
家の前後左右が田んぼか畑。というエリアだった。
当然車通りなども少なく、家にいて聞こえてくる音といえば、
田植えと米の収穫時期に聞こえてくる耕運機の音。
救急車が通って一斉に遠吠えする野良犬たちの声。
近所の子どもを叱る親の声、叱られて泣く子どもの声。
などくらいで、今思えばめちゃくちゃのどかな場所だった気がする。
そんな環境の中で、僕が大人になった今でも懐かしく、愛おしく思える音がある。
「天気の良い昼下がりに、なんとなく遠くで聞こえるヘリコプターの音」である。
馴染みがない方もいるかもしれないが、ボボ‥ボボボボボ‥みたいな音が聞こえてくると、
何もやらないで家でゴロゴロしながらぼーっと田んぼを見つめていた頃を思い出す。
僕にとっての癒しの音である。
ただヘリが飛んでいればいいかというと、そうでもない。
この間、割と近くで立てこもり事件があった時にはヘリが遠くにめちゃくちゃ飛んでたけど、あれは違う。
やっぱりちょっと穏やかな空気感とヘリの音が組み合わさらないとダメなのだ。
幼少期の思い出と結びつくような環境というのは、時に癒し効果を持たらすのかもしれない。
そう考えた時に、また別の思いが僕の頭の中をよぎった。
線路の真隣りに家があったKくんとの思い出である。
Kくんの家に初めて遊びに行った時、なぜか部屋の一方向だけ雨戸が締まりきりになっていた。
少し暗いなとは思ったけれど、もう片側から差し込む自然光は普通に気持ちがよかったし、
居心地の悪さみたいなものは微塵も感じなかった。
しかし次の瞬間、僕はカルチャーショックを受けることになる。
どこからともなく近づいてくる轟音と地響き。
それに共鳴するかのように雨戸がガタガタと悲鳴を上げている。
やがてそれらは遠ざかり、また元通りの少し暗いけど居心地の悪くない空間がそこにはあった。
「震度2なんだ」
とKくんは少し寂しそうな顔をして僕に言った。
なるほど、電車が通るたびにこうなのか。だから雨戸を閉め切っているのか。
ただその寂しそうな顔はなんだ。なんかわからないけど切なくなる。
「すごいね。」
当時はその状況にただただそれくらいしか返せなかったが、捉え方によっては恐ろしく失礼な発言だったように思える。
ただ、色んな家があるんだなと子どもながらに思ったのを今でも鮮明に覚えている。
ちなみにKくんは給食を食べるのが学年で一番早かったが、そのこととこの住環境が結びついていたかどうかは未だにわからない。
果たして今、Kくんは電車が近くを通るたびに癒されていたりするんだろうか。
「立てこもりヘリ理論」でいうと、流石にそれはないだろう。
でも、Kくんにも
天気の良い昼下がりに、なんとなく遠くで聞こえるヘリコプターの音には
癒されていてほしいなと思った。
